2021年3月5回商品トピック

※2021年3月5回の商品カタログはこちら

 3.11から10年 ~未来へつなげよう~ 
二本松有機農業研究会

~二本松有機農業研究会とは?~ 

 50年前より有機農業を営み愛農家、日本有機農業研究会で学びながら、二本松有機農業研究会(安達太良山の麓、福島県二本松市)を結成。信頼のおける安全を第一にする業者、生協を選び提携しています。会員すべての圃場でJAS認定をとっており、安全な作物づくりをめざし、自然環境を守り、美味で安全を目指して取り組んでいます。二本松で半世紀近く有機農業に取り組んできた大内さん(設立時は大内信一さんが代表ですが、現在は息子の督さんが代表を引き継いでいます)は2011年の福島第2原発事故以降、大きな被害を受けた福島の有機農家の現状を発信し続け、作物の放射能測定を徹底し、移行傾向もしっかりと掴み安全な農産物の出荷続けてきました。

また、菜の花やヒマワリの搾油や和綿栽培を通じて新たな支援者との交流を広げるなど、若い世代と共に福島の有機農業をひっぱっています。 今回は3.11から10年~未来につなげよう~ということで、現代表の大内督さんからメッセージをいただきました。

畑にソーラーシェアリング設置

~原発事故から10年、福島からの声~  

この世の終わり・・・大内督

2011年3月11日の東日本大震災、原発事故から10年を迎えようとしている。震災の日は金曜日、提携先への野菜出荷の日で忙しくしていた、14時46分、私は丁度車を走らせて自宅に戻ろうとしていた時に激しい揺れが起こった。心配して急いで自宅に戻ったが、食器棚の皿が崩れているのと、土壁が少しはがれた程度で、思っていたよりは被害は少なかったので一安心した。その後、情報も乏しかったが停電も2日目には解消してテレビに映った津波の被害を見た時には絶句してしまったが、さらに驚いたのが原発が爆発し放射能汚染が広がっているというニュースだった。福島のほうれん草から放射能が検出され出荷停止になったと報道があり、我々の圃場(ほじょう)の野菜も汚染されているのではないかという不安が出てきた。その後、知り合いのつてで自分たちの小松菜とほうれん草を放射能検査をしてもらったがやはり汚染されていた結果にがっかりし、父と二人で畑にあるほうれん草、小松菜、キャベツなどの野菜を全て抜き取り使わない畑の隅に捨てた時には野菜に対して申し訳ない気持ちと、今後二本松で有機農業はできないのではないかと不安でいっぱいだった。

かすかな希望の光

そんな私の不安をよそに父は「作ってみなければ分からない」と野菜作りを行っていた。しかし作って測ってみたら、検出限界以下を示すNDが並び福島で有機農業をできるのではないかとかすかな光が見えた気がしました。震災後、提携先のお客様は半分以下の4割くらいにまで少なくなってしまいましたが、逆に4割のお客様が残ってくれたと思うようにし、とにかく野菜を作り、検査をしデータを見せることを徹底していた結果、少しずつお客様も増えてきています。中には小さな子を持つ若いお母さんたちもお客様になってくれているので、こちらが心配してしまうほどですが、我々を信頼してくれているので、益々しっかりしたものを作らなくてはとすごく励みになっている。震災後、力を入れたのが人参ジュースだ。それまで余った人参を加工するくらいだったが、本格的に商品化することにし好評を得られた。現在も毎年10トン以上の人参を加工してもらい販売しているが、常総生協を始め新たな取引先も増えてきて、当会の収入の柱になっている。

●再生への第二ステージ

原発事故後、エネルギー問題にあまりにも無知だったことを反省した。コンセントに差し込めば機器は動き、スイッチを入れれば明かりがつくのが当たり前のようになり、そのエネルギーがどこから来るのかと深く考えてこなかった。原発も危険だと認識はしていたが、国や東電の安全神話をうのみにし、なにも行動を起こしてこなかった。2012年冬頃から当会(二本松有機農業研究会)にエネルギー部会を作って勉強会を開き、先進地への視察を繰り返した。当初太陽光発電には否定的だった。山が削られてパネルが貼り付けられ、環境や景観を壊しているのを目の当たりにしていたためだ。また、パネルの20年後の処分への疑問もあり、太陽光発電は再生エネルギーではないと感じていて、あえて勉強はしていなかった。が、畑で野菜を栽培し、上のパネルで発電するソーラーシェアリングを視察したことで事業化に進んだ。農地転用許可申請、融資の申請等資金集め、と色々な問題があったが、2018年8月に無事に完成しました。現在パネルの下では夏に大豆、冬には、小麦を栽培しているが、パネルの日陰の影響も少なく、順調に生育している。売電も順調に進んでおり、当会の運営の助けになっている。将来的には、発電された電気で車や農機具を充電するなど、化石燃料の使用を抑えた農業が出来るようになればと考えている。原発事故後、顔と顔の見える関係を大事にして信頼関係を築いてきたつもりの提携先のお客様が次々と去っていき、人間不信になりかけていましたが、そんな時に「猫の手」の皆さんをはじめ多くの方々に支えられてここまで歩んでくることが出来ました。これからも福島で有機農業を続け、自立していくこと、そして二度と原発事故が起きないように、今自分に出来ることをしっかり行っていくことが、皆さんへの恩返しと思い、これからも歩んでいきたいと思います。

※猫の手の皆さん

酪農家の悲劇・・・大内信一

二本松の安達太良山山麓は広大な土地が広がる酪農の大産地です。中学の頃はバス等の便も悪く、15㎞の道を徒歩通学した友がいました。冬は暗いうちに家をでるため、熊よけの鈴をもって登校したという伝説が語り継がれているほどです。その彼は同級生の信頼も厚く成績もよく、生徒会長としてわれわれのリーダーでした。その友は学校を出るとすぐ家業の酪農を受け継ぎ、酪農家のリーダーとして家族と共に働いていました。彼には一つの信念がありました。牛のエサは出来る限り自給したいということです。近隣で酪農をやめて土地を手放す者があれば借り受け、また無理をして買い入れもして農地拡大も心がけました。100頭あまりの牛の健全経営を目指していました。そんな時に原発事故です。真っ先に牛乳から放射能が検出され、出荷不能になったのです。これは隣町の小さな酪農家が沢水を乳牛に飲ませていたことによるものでした。いつもはきれいな水だったのですが、放射能によって汚染されてしまい、近隣まで出荷停止となったのです。その後すべての牛乳を検査することになり、購入飼料を与えた牛の乳からは放射能が検出され、そのフン、堆肥も売れなくなりました。経営を健全にしようとした彼の苦労は、まったく逆の結果となってしまったのでした。彼にとってその悩み、ストレスは、はかりかしれないものがあったと思うのです。彼は、その状況を東京電力のせいと割り切れず、自分の責任、と自分を責め続けたのでした。そして彼は間もなく病に倒れて半身不随となり、入院したのでした。あの元気に働いていてた彼が倒れるとは・・・。私は、これは原発による被害の甚大なることによるストレスが、彼の脳を壊したと思った。これは、医学的には証明できないことですが、私は、その因果を疑うことが出来ません。彼が病に倒れた後、国や東電によって補償や草地改良の方策が示され、彼の病が癒えることは見込めず入院したままです。このように原発被害は立地した地元はもとより、県内各地もに目は見えるもの、目に見えぬものと多大にあってたくさんの住民を不安に陥っており、環境が良く自然豊かなところほど被害大だったのは悔しい限りです。

・取り扱い商品

有機人参まるごとジュース・・・有機人参を使った栄養豊富なストレートジュース。果肉が沈殿しているので、よく振ってからお飲みください。原材料:人参、レモン果汁、梅エキス

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